最後の一花 ダンツフレーム(後)
勝ったことで失ったもの。
彼の場合、それは闘争心だったのかもしれない。GⅠ制覇の後、秋の中山から始まる苦悩の道程。
5-14-17-4-5
-18kgで毎日王冠を使われてから、10kg以上の増減を交互に繰り返し、休み明け4着だったレコード決着のマイラーズCで500kgを初めて超えた後は、体がそれ以上絞られることはなかった。
尻すぼみのグランプリホース。
そんな中、春の天皇賞から中一週で59の酷斤をものともせず、生涯最高の上がり3F33.7の末脚を繰り出し新潟で復活V。1番人気も宝塚記念以来。03年5月。デビューから4年連続勝利。
勢いをつけ、また中一週で安田記念に、そのまた3週間後には宝塚記念にも参戦したが、豪華メンバーの陰に隠れるように、脇役に甘んじた。元の木阿弥。
秋に予定したオールカマーも屈腱炎で回避→引退。種牡馬入り。
だが、翌秋南関東の能力検定に合格し、現役復帰。東京大賞典にも出たが、奇跡の馬にはなれず…。
いつの間にか種牡馬の道も絶たれ、どこかで乗馬になったという話を確認したのが最後。
次の聞いたニュースは、繋養先の乗馬施設で肺炎のため死んだという衝撃なものだった…。
アグネスタキオン、クロフネ、ジャングルポケット。
最強世代の隙間に埋もれた悲運の物語。こんな最期は…。
シェリフズスターも流れ流され、彼の地の乗馬クラブで天寿を全うしたことが某誌の取材で明らかになった。関係者が扱いやすく賢い馬だったと語っていたのが印象的。
器用さや安定感だけでは…。人生にも通ずる教訓譚。
彼にGⅠの勲章は必要なかったのでは?これに正解などない。