3歳の上がり馬
ダービーで惜敗したシラオキを5代母に持つ、フロリースカップの末裔・マチカネフクキタル。
サイレンススズカの次点選出でも、出られるものなら出たいのがダービー。
サニーブライアンの7着だった。
その後、福島で自己条件を勝つとこの馬の快進撃が始まった。
神戸新聞杯で、サイレンススズカへリベンジを果たすと、もう同期に止める者は現れず、返す刀で京都新聞杯も快勝。
菊花賞では、上がり馬にまでやられるわけには、というブライト、ジャスティスの末を封じ、ダンスインザダークばりの33.9の上がりでラストクラウンを戴冠。見事に返り討ちを果たすのであった。
悲喜こもごも、97クラシックのクライマックスシーン。
しかし、全員GⅠの箔がついた1年後の有馬記念でこの追い込み三銃士は再戦を果たすのだが、既にターフは一つ年下のスターたちに占拠されていた。
刹那の輝き。猛者の集う時代のサイドストーリー…。
もう16年も前の話である。
タイキシャトルやシーキングザパールが「短距離革命」を起こした世代の菊花賞は、ドーベルv.s.マーチの二冠奪取マッチと違い、三冠挑戦断念の無念さ漂う切ない一戦だった。
ダービーを逃げ切ったサニーブライアンが、敗戦の恐怖からも逃げ切ってしまった秋の物語でもある。
アサクサスケール
オウケンブルースリ
スターマン
ティコティコタック
ヒシミラクル
メジロマックイーン
場違いの感があったから外したが、サンデーサイレンス産駒のマンハッタンカフェもそう。
名上がり馬は、案外良血。彼らの一族からはGⅠ馬が何頭も出ている。
この話も例外に漏れず。雑草の下剋上ではない。
当然の結果なのだ。