オルフェーヴル

血統を語る、競馬予想ブログ「ぶらっと競馬場まで」

日はまた昇る

読了までの目安時間:約 2分

 

オルフェーヴル
阪神大賞典が終焉でなかったことに、人間の側が決して驕りを持ってはいけないのだと、あの圧勝劇が思い出させてくれた。
あくまでおまけの古馬戦。
三冠以上の価値は、現在の競馬界には存在しない。

阪神大賞典とは、一体何だったのか?
巷で様々な方向から分析のなされた人気馬による異様な立ち振る舞い。
曲芸を駆使して他を制することは、王者に相応しい競馬とは言えない。

過去にはこの手の荒くれ者はいた。
しかし、本物に戻らない、それこそもっと若くて勢いのあった頃と本来はこうではないのに比較されてしまうのがオチ。
1年半以上もGⅠ勝利から見放された屈辱の日々。

自己主張の仕方がレースに対する前向きさではなくなったことにより、そのまましぼんでしまうことを避けるための暴走だったのか?
阪神大賞典は、自分の古馬としての戦い方を示したのだとも今では思えてくる。

強引に使いこまれる事がなかった。
走りたい気持ちを無理に抑えこませなかった。
などの理由から、彼は己の走りを取り戻すことに成功した。
オグリやテイオーの時に見た、一瞬の幻ではないかと見紛うほどの決め手。

相対的に見て全盛期のそれではないのは明らかだったが、迫力満点の有馬記念勝利に救われた関係者は少なくない。
名馬に身を委ねることへの疑念と信頼。
信頼関係が戻ったというより、馬が人間側に歩み寄ってくれた感じか。

とにもかくにも、あの時終わらなかったことに感謝せねば。
天国のナリタブライアンが、我々にいろいろ教えてくれたことが結実した日。
どんなに時が経っても、新鮮な記憶として残る競馬。
3年後の産駒デビューの日まで、さよなら。

 

競馬&予想コラム   コメント:0

この記事に関連する記事一覧